1993年8月1日午前零時、札幌で2番目の民放FM局として産声をあげた「エフエム・ノースウェーブ」。その開局を告げる記念すべき第一声を発したのがこの人でした。DJタック・ハーシーさん。マイクに向かいながら、選曲、構成、ディレクションを一人でこなすマルチDJでもあり、自身のバンドを率いてのライブ活動や、CMなどの楽曲制作を行うミュージシャンの顔も持ちます。

 

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音楽のそばにいるためにDJに

「ずっと音楽のそばに身を置いて、音楽と関わって生きたい」。そう話すタックさんの原点は、幼い頃ラジオから聞こえてきたビートルズでした。聴いたことのなかった、エキサイティングでスリリングな彼らのビートは、タックさんを一気に音楽の虜にしました。中学生になって自らもギターを手にし、以来、高校、大学を通してバンドを組み、音楽漬けの毎日を送ります。青山学院大学を卒業後も就職をせず、流れに任せるように、そのまま東京で音楽活動を続けました。「親は心配したと思うけど、どうしてもそこで音楽を断つ気になれなかった」とタックさん。小さなスタジオを構えて、CM曲を作っては広告代理店に持ち込むということを始めます。ある時、CMの制作担当者から、ナレーションをしてみないか?と声がかかります。「当時は、申し訳ないが『バイト感覚』。僕にとってはあまり楽しい仕事ではなかった」と言いますが、自身の声で「話すこと」が、仕事になるという始めての経験でもありました。同じ頃、たまたま耳にしたのが、普段から好んで聴いていたFM局が主催する、DJコンテストの告知。「そうだ、そもそもラジオが好きだったし、DJなら、世界中の素敵な音楽のそばにいつもいられるじゃないか」とひらめきます。1,000人近い応募があったという、デモテープ審査を通過し、小林克也氏や湯川れい子氏が審査員として名を連ねた本選で、準優勝に輝きます。それをきっかけにDJを真剣に目指し、独自のトークスタイルを磨き、スキルアップを重ねて、「幸運にも横浜と仙台のFM局で音楽番組のDJを務めることになった」といいます。

 

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開局前のFM局からの誘い

DJとなって7年が経ち、仙台を拠点に活躍していたタックさんの元に、突然札幌から来客があります。「新たにFM局を札幌で開局する。その立ち上げに参加してほしい」という誘いでした。「ラジオステーションの立ち上げに参画できるというのは、めったにないチャンスだけれど、DJという仕事も音楽活動も軌道に乗っていたところだったので、それを一旦チャラにして、という部分では悩みました」。正式な結論を出さぬままに、招かれて札幌で関係者と会食の場。「正面に座った当時の編成部長が僕の目を見て言った言葉で心が決まりました。『どうだいタック、一緒にバンドをやらないか?ギターも、ベースも、ドラムも、パーカッションもここには揃っている。だから君には、この新しいステーションのボーカルを担当してほしいんだ』」

 

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目深に被る帽子とサングラスがトレードマーク。開局当初は、できるだけ自身が露出しないように気を配ったと言います。「『声』だけの存在になりたかった。極端に言うと、実際に存在する人なのかさえもわからないくらいに。けれど毎週同じ曜日、同じ時間に、同じ『声』が聞こえてくる。それって、リスナーの想像力を刺激しますよね」。ミュージック・ビデオが生まれて以来、音楽の記憶は、否応無く送り手の作ったビジュアルとセットで記憶されます。しかしそれ以前の音楽は、社会の出来事や空気、リスナーの個人的な経験を蘇らせたりして、聴く側のイマジネーションを駆立てる作用がありました。「だからビジュアルはいらない。『声』だけの存在になる」というのがタックさんの望んだ選択でした。「そこがラジオの力であり、面白いところだからね」

 

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チャート番組「SAPPORO HOT 100」の復活

時代とともに、音楽を取り巻く環境も変化しました。1998年をピークに、国内のCD売上は減少の一途を辿っています。タックさんは「今の時代は音楽が使い捨てられている」とも感じています。ジャケットも歌詞カードもない「データという音楽」が、ワンクリックで手に入る時代。便利ではあるけれど、簡単に手に入るものは、同時に、簡単に捨てられることも意味します。「本人が悪いわけではないけれど」と前置きした上で、「そんな時代に育ったDJは、音楽を中心に置いた番組が作れなくなっているというのはあるかもしれない。ラジオが音楽の情報源だった僕らの世代にとってはちょっと寂しいことだよね」
今年2016年春、FMノースウェーブは、かつて日曜午後の人気プログラムだった音楽チャート番組「SAPPORO HOT 100」を8年振りに復活させました。「もう一度、音楽を大切にしているステーションだということを前面に出してアピールしよう」という、同局にとっての原点回帰の意味もあります。復活に際しDJを担当することになったのが番組の初代DJでもあったタックさんでした。毎週日曜正午から4時間生放送で、札幌の最新ヒット曲をカウントダウンしています。
「僕が言うのもおかしいけれど、音楽に順位はないと思っている。1位が良い曲で、ランク外が悪い曲ではない。この番組は、『この1週間、ラジオを通じて、こんな曲を皆と共有したんだよ』という報告。リスナーひとりひとりが、紹介する曲の中から自分のNo.1ソングを見つけてくれたら嬉しいな」

 

TuckGig_02         写真提供/TUCK HERSEYさん

 

守りつづけてきた流儀

局の立ち上げをバンドに例えて「ボーカルを担当してくれ」と誘われたタックさん。その時、こんな言葉で返したと言います。「一緒にバンドをやりたいと思っています。でも、ボーカルはできません…。ラジオステーションにとって、ボーカルとは『音楽』。だから僕はその『音楽』が主役として前に出るように、後ろで一生懸命、リズムギターを弾きます」と。
「DJはしゃべることが仕事じゃない。音楽をどう良く聴かせるかを考えて、少ない言葉で曲の背中を押してあげることが1番大切な役割」。それが音楽を愛するDJタック・ハーシーさんの、変わることなく守り続けてきた流儀でした。
DJの道を歩み始めてから30年になります。振り返って今思うことは?
「願った通り、ずっと音楽のそばにいる。この仕事を選んだ昔の自分を褒めてやりたい。『良いところに目をつけたじゃん』てね」

取材協力店/ban.K ベルクヒュッテ

 

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Tuck Herseyさん
1960年東京都中野区生まれ。高校時代からバンド活動を始め、青山学院大学英米文学科卒業後、CM音楽のサウンドプロデュース、ディレクションを手がける。1987年、FM東京主催の第1回AMERICAN TOP 40 DJ CONTESTで第2位に。以後、DJとしてFM横浜、J-WAVE、東京FM、FM仙台等の番組を数多く担当。1993年、エフエム・ノースウェーブからの熱いラブコールに応えて開局に参画。魅力ある低音ボイス、温かい人柄、ビート感溢れるトークで幅広いリスナーから支持されている。現在も自身のバンドを率いてライブ活動も積極的に行っている。また、エネルギーと環境を中心に、様々な社会問題に取り組む特定非営利活動(NPO)法人「Better Days Project」の副代表理事も務める。

 

HOT100
SAPPORO HOT 100

 

TUCK HERSEY

※各種情報は記事掲載当時のものです。現在は変更となっている場合がございます、予めご了承ください。

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