山の手で本格的な讃岐うどんを提供する「手打ちうどん寺屋」。今や行列ができるのが日常の人気店ですが、開店時には、決して順調と言えない苦労があったといいます。
注文を受けてから麺をゆでる。その時間およそ10分。「まだか? 遅いぞ」と怒って、食べずに代金だけ置いて帰った客。「味が薄い」といって醤油を入れてしまう客。「食文化が違うとはこういうことなのかと、愕然としました」と当時を振り返るのは店主の寺井嘉朗さん。
「うどん県」という世間の認知も定着した香川県の出身。高校卒業後は「料理の道へ」と考えていましたが、親に懇願されて大学へ進学。そしてカナダに留学します。現地の食事に飽きて食べた創作寿司で突然ギアが入ったという寺井さん。「美味い。やっぱり日本食は凄い」。すぐに留学を切り上げて帰国。知人の紹介をうけて東京の小さな割烹に住み込みで入りました。
「顔が引きつるほど厳しかった2年間の修行」の後、店を持つなら「ふるさと香川のうどんで勝負したい」と地元に帰り、名店と言われる店を渡り歩いて讃岐うどんを極めます。
奥さんの郷里である札幌でうどん店を食べ歩いた時「これなら絶対勝てる」と確信した寺井さん。この北の地での開店を決意します。
ところが「1年間は全く客が来なくて、妻としりとりして時間をつぶしてました(笑)」。それでも自分の作るうどんに対するこだわりは変えず、その日残ったうどんは全て廃棄。また翌日打つという日々だったとか。「札幌でうどん屋は無理。やめておけ」。そんな周囲の声に耳を塞いで始めた店。「今に見ていろ。いつかきっと」という意地が苦悩の時代の支えでした。
その後、新聞の食レポ記事に取り上げられたのをきっかけに、来店客が一気に増えます。「幸いなことに、そこからは客足が落ちることがなかったんです」。一過性の人気で終わらず今の繁盛にそのまま繋がったのは、「また食べたい」と思われる本物の力があった証拠。
開店から変わらず、麺はすべて寺井さんが1人で打っています。「うどんは太い分、食べた時の違いがはっきりしやすい。うっすら透明感があって、のどごしが良いうどんを作るため、季節によって微妙に変える塩分濃度や熟成度合いは自分にしかわからないんです」。
店に入ってすぐに目に入るおでんの鍋。「うどんを待つ間のおでん」という、香川では当たり前のスタイルを取り入れたのは4年前。今では来店客にもすっかりおなじみの取り合わせになりました。「ここは食文化が違う」と思わず嘆いた札幌に、讃岐うどんの店「寺屋」はしっかりと根を下ろしています。
TEXT / MASANORI HORITA
PHOTO / SHIGEO TAMURA